呟きたい

主にタイトルが示していることをしたい。色々妄想しながら、ここに自分が考えてることをぶち込めたい。よろしく

プロローグ1

パルテノン神殿はまだ暗かった。


彼は夜空を見上げながら、ベランダのレールに肩寄っていた。スポーツマンのような髪の毛がしんなりしている。あごは固くて鋭く、若い目は死んでいた。右手にまだ口を付けていない瓶ビールを持ち、左手には三周巻きの包帯を持っていた。体が重く感じていた。


「虎響(トラビ)。この前のことは悪く思っているが、今日は早く寝ろよ。明日帰るんだろ」強くて暖かい声が彼の耳を通りぬく。言葉主のおじさんはドアをゆっくり閉めてから階段を下りると、足音を鳴らしていく。虎響は一瞬静かさを味わえたが、猛獣が子ウサギを食うようにアテネの町音が静寂を食った。ため息を吐いて、彼は仕方なく体を動かした。開けっ放しのビールは外に置いておき、うつぶせでベッドに墜落した。


開け忘れのベランダのドアから日刺しが虎響の目に当たると、彼はうなずき起きた。まだ朝の八時だっていうのに耐えられない暑さだった。おまけに昨日の服は汗でびしょぬれだった。横を見ると、昨日からつけっぱなしのテレビがニュースを鳴らしていた。聞き取れない単語が素早く司会の口から出ていく。それに異なる映像を見すぎなのか、もう頭の中にも入ってこない。


四人の名前が英語で提示されていた。宮松響治(ミヤマツキョウジ)、宮松美鈴(ミレイ)、宮松亜遊美(アユミ)、宮松朔太郎(サクタロウ)。


虎響はよろよろと洗面所へ歩き、歯磨きと顔洗いをし始めた。彼は左利きで、歯ブラシには手間がかかった。水はぬるくてすっきりとはさせてくれない。鏡で自分の顔を見ると笑ってしまうところだった。でも、心をすべて集中して笑いを控えた。今は笑いたくはなかった。笑えていいのは一年後かもしれないと思った。


寝室に戻ると、テレビはパルテノン神殿を映していた。白い円筒に弾丸の跡が散らされていた。画面が小さすぎたのか、血の痕跡は見えなかった。画面の底には二人の男性の顔が虎響をにらんでいた。虎響はその顔にどう反応すればわからなかった。ただ見ているだけでいっぱいだった。まだ濡れている手でリモコンをとり、テレビを消した。


帰る支度はもうおわった。自ら空港へ行き、日本へ戻るしかなかった。軽いリュックサックを持ち、一週間ほど泊まっていた部屋に振り返りもせず出て行った。ホステルを出た瞬間、空港行のバスがちょうど停止していた。彼は急がなくゆっくりバスに乗っていった。席を見つけて座ると、外を眺め始めた。空港に着くまでに外を眺めていた。


空港に着いた時にはバスが満員だった。客室乗務員やサラリーマン、みんなの汗で空気が湿って感じた。バスの自動ドアが開くと、次々と大きい荷物を背負った旅人たちが気持ちよく外の空気を吸いながら出て行った。虎響が最後に降りる人だった。降りる瞬間、ドアが閉まりバスは再び出発した。人込みがすいたら、一人のおじさんが「宮松虎響」という紙を持ち、彼を迎えていた。

反応と予測

つい昨日、俺は絶対には存在しない人について書かせていてもらっていたが、今日も同じだ。


君は「フォレスト ガンプ」という映画は聞いたことはあるだろうか?欧米ではとても有名で、日本でもそうだったと思う。主人公の人生を振り返り、感動をさせる映画だ。彼は鈍感で、いつもバカと言われて、頭の回転が遅い人だった。深く考えはできず、ただほかの人の命令や願望にこたえて生きていく人だ。それなのに彼の人生は充実していて、好きな人もできていた。彼はやがてその人と結婚する。災難に彼女はHIVからなくなってしまう。最後のシーンでは フォレスト ガンプ が自分の息子が学校に行くのを見送っている。


まあ、大体の話が分かったところで聞く。HIVはゲイ差別を始めたのだろうか。初めてHIVがアメリカで回った時(昭和五十六年)、「4Hのウイルス」というあだ名がつけられていた。それは、感染者のグループを示していて、ホモセクシュアル、ヘロインを打つ人、血友病人とハイチ人の四体だった。そのころHIVはその四体に限って多く感染されていた。だが時間がたつと、ホモセクシュアルの感染者が急増した。そしてアメリカの新聞では「ゲイ病」や「ゲイ病には気をつけろ」という題名が書かれていた。その題名はゲイ差別を始めたのだろうか。


たぶんそれはないだろう。実際にゲイ差別は千年前からある。ただ、今みたいに人が行動をとって差別をするわけではなく、法律で差別を絶対にしていたのだ。少なくともHIVはゲイ差別の炎に木を添えていた。ゲイ差別を行う人はゲイを嫌う理由を求めていた。そしてちょうどいいタイミングにその理由が現れた。だから、そう差別が急増した。これは根本的に人間の性質だと思う。人に悲劇が起これば、その悲劇を誰かの、あるいは団体の、せいにしたいと思う。何かの行動をしたくなる。


世間でもそうだ。つい最近起きた「ジョージ フロイド」の殺人の影響で、黒人差別への反対意見やプロテストが増している。別に黒人差別は今始まったばかりのことではなく、はるかに前の時から白人は差別をしてきた。でも、殺人の悲劇があるから黒人差別に反する意見を持つ人が今わめいている。これはとても人間的で、さらに根本的に考えると人間は反応的ともいえる。人間は自分の環境に反応して生きていく。おなかがすいたら食事をする、地震が起きたら地震からの保護の対策を工夫する、悲劇が起きたらそれに応じて良くも悪くも行動をとる。では、その反対はどうなのだろう。予測的な人間はどうなのだろう?


おなかがすくのを予想して食事をする、地震が起きるのを予想して地震からの保護の対策を工夫する、悲劇が起こるのを予想して行動をとる。どれも人間的ではない。おなかがすかないと食事をする意味がない、地震が起きないと地震からの保護をする意味がない、悲劇が起こらないと行動する意味もない。人間は理由がないと動かない生物なのかもしれない。


フォレスト ガンプはまさに反応的な人間だった。誰かの行動に反応し、母や大切な人から教わったことや願望を用いて行動をする人だった。彼は普通の人間ではないように、映画ではみられる。でも彼が一番反応的だ。だから彼は一番人間的なのかもしれない。そうなると、普通の人間は人間からほど遠い存在だと感じてくる。


実際はその逆だ。人間は予測的に動くように苦労していて、動物は反応的に動く。ただ俺はフォレスト ガンプが一番人間的な存在であって、われらが人間から遠い存在だという考え方が面白くて気にってるだけだ。伊坂幸太郎さんの「陽気なギャングは地球を回す」でも書かれていた。「彼はどう考えているかわからない。あるいは、すべての出来事がお見通しなのかもな。」と。それは自閉症である少年の父親が言う言葉だ。

行動

最近、気づいていることがある。ドラマやアニメに出てくる強い女性主人公が増えていることに。それは別に悪いことではなく、俺にとっては最も良い事だとも言っていい。俺はそういう女が好きなのだ。心が強くて、熱心で、優柔不断ではなく一心でなんらか決める女が魅力的に思う。例をあげよう。


最近放送されたアニメ 'グレイプニル' の女性主人公 '青木紅愛' (あおきくれあ) は自分の両親が姉に殺され、姉を探しに2年上の先輩を務める。彼女はその事件に対して色々な感情を運び、心強いキャラクターとなっている。自分がしたいことがきちんと心の中で決まっていて、自分に自信をもてている。俺はそういう人には憧れているし、時々惚れそうにもなる。でもどうして俺はそんな強がっている女性なんかが好きなんだろう?


強い女は都合がいいからだ。俺にとって都合が悪いことは行動をとることだ。何かをする度に、言い訳がないと行動はしたくない。強いていえば、俺は無責任だ。だから勝手に行動をしてくれて、僕を奴隷として扱う天使がいたならば、俺はそいつに食いつく。具体的に、15分間に一回は言い訳を差し出してくれる天使が理想的だ。


でもこれでは欲張りだ。自分だけに自分に都合よく言い訳を求めるのはクソでしかない。そもそも、そういうサービスを差し上げる彼女、いや、人なんているのだろうか? いるわけがない。だがら、俺はいま決心した。これからの1年は、行動の1年にすることに。もう人に頼って責任を取れない俺を見るのがうんざりなんだ。


自分が憎い。


僕の視界には自分しかが映らなくて、大切な人すら僕のフレームに入れられない俺が憎い。だから、こうして今こういうふうに書いている。自分の思っていることを書き出したくてたまらない今のためにあるこのブログを使って行動をし始めている。別に褒められたくはない、そういう目的ではない。単に頭の整理をしたいだけだ。単に、呟きたいだけだ。